もりぞう
マインドセットのバックグラウンド
中学陸上部で始めた長距離走に魅了され、高校・大学まで日々ひたすら走り続けました。学生でありながらも走ることを中心にした生活だったため卒業までの単位はギリギリでした。
その後、周囲が就職していく中、走りへの情熱を捨てきれずに辿り着いたのがトライアスロンの実業団チームでした。
水泳、自転車は全くの未経験でありながらも、スペシャルな環境をご提供いただき、そのおかげで、トライアスロンの最高舞台IRONMAN TRIATHLON World Champion Ship in Hawaiiに2度出場する事ができました。上の写真は雑誌で取り上げられた当初の僕です!
そして2度目の挑戦ではプロを除く18歳から24歳の部で5位に入賞する事ができました。
⇩現在の僕です。
ですがその後に訪れた親の廃業が重なり、かじるスネを失ったので就職の道を選ばざるを得なくなったという具合です。
当時は日中働きながらでもトライアスロンへのの挑戦は絶対諦めないと思っていましたが、入ったIT業界は甘くありませんでした。
初めての就職
IT業界での最初の仕事はプログラマーでした。
知識も素質もなかったものの、先輩社員に食らいつき、なんとか後輩を連れて客先に常駐できるまでのスキルと人間力を得られました。
そして嫁もりこさんとの出会いもここであったのですが、家族を養っていくためには給料が安く、身と時間を犠牲にして残業をしまくるしか手がありませんでした。
なのでなんらかの方法での収入アップが必要と考え色々チャレンジしました。あまりパッとしませんがだいたいこんな感じでした。
◇資格を取得して月給をあげる
当時の会社では一時金ではなく月給に加算されるため、上位試験に合格するとなかなかの金額がもらえました。例えば、IPAのプロジェクトマネージャ試験に合格すると給与にプラス50,000円という感じ。
◇iPhoneアプリを作成し、副業でかせぐ
当時iPhoneがソフトバンク以外のドコモやauで発売され、多くの人がiphoneを持ち始めました。iPhoneアプリの作成は初心者には難易度が高いものですが、プログラマーとしての基礎があったので、X-codeだろうがobjective-c(iPhoneアプリを作るためのツール類)だろうが怖くありませんでした。
なので僕も躊躇なくそのブルーオーシャンに飛び込みましたが、結果、数ヶ月もの間、休日を費やしてアプリを作り上げたものの収益を得る事ができず、、個人開発ではコスパが悪いと判断し断念してしまいました。仲間を募るとか、そういうことのできるコミュ力は当時の僕にはありませんでした。
転職活動
30歳も過ぎると、その会社でどんな仕事ができて、どの程度のポジションに上がれて、収入がどれくらいになり、どんなライフスタイルを送れるのかが如実に見えてきました。
そしてそれは残念ながら自分の理想とはかけ離れていたのでした。なのでいつまでもここにはいれないと、最後の選択として転職を決意。
そうしてもがき続けること約1年、36歳にしてようやく運が回ってきました。IT業界の大手企業から内定をいただけたのです。またそこで提示された条件(年収)も前職の1.5倍以上になり大きな達成感を得られました。
激務による鬱の発症と労働収入の限界を知る
大企業に入社したからこそ課せられた大きな責任に比例して、
「大いなる力には大いなる責任が伴う」
という、映画スパイダーマンでの名言が思い出されました。まさに転職先では激務とストレスフルな環境が待ち構えていたのです。
前述のバックグラウンドの通り、体力には自信がありましたが、心の方が病んでしまいました。そして、多くの人に迷惑をかけ、今も心療内科に通う日々が続いています。
ただそこで気付いたのがこれが身を削りながら収入を得るといういわゆる、僕にとっての「労働収入の限界」ということでした。
セミリタイアに向けて
そして昨今、精神的・体力的な限界から今の会社を辞める決意をしました。幸い収入には心配がない環境にあるため(もりこさんのおかげ)、春からは、心のリハビリをと東南アジアを旅することにしています。⇨2020年は世界的な感染病のため、沖縄の離島に移住しました。
本サイトでは同じ生き方をする多くの人たちと価値を共有したいと考えていますので、よろしくお願いいたします。
もりぞう